福農の歴史

創立143年の歴史を誇る福岡農業高等学校です。その歴史について紹介します。
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年号(西暦)月日出来事
明治12年(1879)2月勧業試験場を設置(福岡市博多区中洲1丁目)
7月3日勧業試験場開所式を挙行
9月勧業試験場内に農学所設置
明治13年(1880)7月農学校兼試験場と改称
11月30日農学校として独立
明治20年(1887)3月31日農学校を廃止
明治34年(1901)4月23日福岡農学校開校(福岡市博多区竹下)
昭和3年(1923)10月27日校歌制定
昭和22年(1947)2月23日第1回全国中等学校駅伝競走大会 優勝
昭和23年(1948)4月1日福岡農業高等学校と改称 (6・3・3制の導入)
7月30日定時制課程を設置
昭和24年(1949)1月5日第1回高等学校対抗駅伝競走大会 優勝
5月1日筑紫野高等学校と改称
昭和25年(1950)1月22日全国高等学校駅伝競走大会(通信競技) 優勝
4月13日定時制岩戸分校開校式挙行(現福岡女子商業高等学校)
昭和26年(1951)4月1日専攻科を設置(農業科1学級40名2.制)
昭和28年(1953)12月27日第4回全国高等学校駅伝競走大会 優勝
昭和29年(1954)12月26日第5回全国高等学校駅伝競走大会 優勝 (2連覇)
昭和30年(1955)4月1日福岡農業高等学校と改称
昭和33年(1958)4月10日福岡市南区塩原に移転
昭和36年(1961)3月31日定時制本校・分校とも募集停止
昭和39年(1964)3月31日定時制岩戸分校廃止
昭和51年(1976)4月1日筑紫郡太宰府町大佐野に移転
昭和53年(1978)11月18日創立100年・校舎移転落成・同窓会館落成記念祭挙行
昭和63年(1988)11月19日創立110周年記念式典挙行(校訓制定)
平成10年(1998)11月7日創立120周年記念式典挙行(校花、校木制定)
平成20年(2008)11月18日創立130周年記念式典挙行
平成30年(2018)11月16日創立140周年記念式典挙行 

●春吉(中洲)校舎時代

【中州校舎開校以前】

年号(西暦)月日出来事
明治4年(1871)旧福岡城の一角に草木園を設ける。
明治9年(1876)3月旧三潴県筑後国御井郡東久留米村に、植物試験場を開設。
(九反一畝拾歩五厘)
12月旧3県合併後、県庁敷地内に試験場設置。(五反歩)
明治12年(1879)2月那珂郡春吉村中洲に勧業試験場を設置し、農業の試験研究を行う。(一町三反歩)
7月1日勧業試験場仮規則を定める。
7月3日勧業試験場開所式挙行

【春吉(中洲)校舎時代】

年号(西暦)月日出来事
明治12年(1879)9月勧業試験場内に農学所を設置し農業教育を始める。責任者に堤荘蔵氏任命される。
明治13年(1880)7月福岡県立農学校兼試験場と改称し、農業教育に重点を置く。
8月校舎新築着工
11月30日甲第45号を以って規則を改正し、農学専門校として発足。堤荘蔵氏が初代校長心得に任命される。
明治14年(1881)1月30日校舎新築竣工、福岡県立農学校新築開校式挙行。
明治16年(1883)3月県議会廃校可決、3次会で否決
3月4日第1回卒業証書授与式挙行(卒業生17名)。
明治17年(1884)3月通常県議会廃校可決
5月文部省本校の廃校不認可
住吉の田地一町六反を購入
明治18年(1885)5月農学校通則下款(二種)に準拠し本校規則大巾改正
試験水田地内に附属農舎並びに肥料小屋厩等建築
明治19年(1886)4月勅令第16号発布。地方税支出の学校は師範学校に限られるようになる。
7月稲、麦、蕓苔試験のため試験田一町五畝二十歩購入
本校教職員より那珂郡後野村早口(筑紫郡那珂川町後野)の山林二十三町九反四畝拾八歩寄付
明治20年(1887)3月第5回卒業証書授与式挙行(卒業生7名)。
3月31日勅令第16号に基づき福岡県立農学校を廃止
在校生の中から9名東京農林学校(現在の東京大学農学部)へ派遣する。
4月1日福岡勧業試験場開場

竹下校舎時代

竹下校舎開校以前

(地名の変遷)筑紫郡那珂村大字竹下→筑紫郡住吉町箕島南5丁→福岡市博多区竹下2,3丁目

年号(西暦)月日出来事
明治28年(1895)4月勧業試験場を農事試験場と改称
明治31年(1898)2月22日県農会第2回総会にて農学校の設立を求めることを満場一致で可決する。
6月9日建議書起草委員を選出し、作成に取り掛かる。
6月11日建議書を県知事に提出するが、廃案になる。
12月8日第2号建議書を議会に提出。12日の県議会通過する。
この間、県知事、議長ともに交代があった。
明治32年(1899)11月1日第2号建議書、県議会にて廃案。
11月18日第3号建議書を議会に提出。
11月20日第3号建議書に議長名を加え、第4号建議書として県知事に提出。
11月29日県知事第4号建議書を立案上程する。
12月県議会において福岡県立福岡農学校(甲種農学校)設立を決議。文部省に申請する。
明治33年(1900)6月2日文部省より甲種農学校として認可される
6月12日本校規則を公布
9月1日筑紫郡那珂村大字竹下の校舎の新築を開始(12560坪)
12月21日農事試験場長片田豊太郎氏校長事務取扱に任命

竹下校舎時代

(地名の変遷)筑紫郡那珂村大字竹下→筑紫郡住吉町箕島南5丁→福岡市博多区竹下2,3丁目

年号(西暦)月日出来事
明治34年(1901)4月23日福岡県立福岡農学校開校(入学者55名。生徒定員120名)
6月21日初代校長として愛媛農事試験場長の岡村猪之助が着任する。
7月17日開校式挙行
10月30日校友会組織される。
明治36年(1903)1月26日生徒定員120名を150名に増員
明治40年(1907)3月31日生徒定員150名を240名に増員
明治42年(1910)6月12日財団法人福岡県立福岡農学校校友会自彊会組織される。
明治43年(1909)校地一町七反九畝十七歩、校舎三百十坪二合五勺を整備拡充する。
明治44年(1911)4月23日開校満10周年祝賀会挙行
大正10年(1921)4月1日実業補習学校教員養成所創設
大正11年(1922)4月29日創立20周年記念祝賀会挙行
昭和3年(1928)10月27日校歌制定・校旗推戴式挙行
昭和8年(1933)3月31日産業組合科設置、生徒定員40名(1年制)
農学校(本科)生徒は300名に増員
昭和11年(1936)4月25日創立35周年記念祝賀会挙行
昭和14年(1939)12月7日学校演習林山口村萩原(筑紫野市荻原)に設置
(6町歩契約60年、後に4町歩加わる)
昭和16年(1941)4月1日第一部生徒定員を450名に増員、運動場拡張(3,300坪)
昭和17年(1942)12月20日青年学校教育養成所本校より分離独立(羽犬塚に移転)
昭和19年(1944)4月1日産業組合科募集停止
昭和22年(1947)2月23日第1回全国中等学校駅伝競走大会 優勝 (於大阪)
(主催:関西大学アスレチック倶楽部  後援:大阪日日新聞社)
昭和23年(1948)4月1日高等学校に昇格、校名を福岡県立福岡農業高等学校と改称(農業科3学級)
7月30日定時制課程を設置(農業科募集定員40名4年制)
昭和24年(1949)1月5日第1回高等学校対抗駅伝競走大会 優勝 (於大阪)
(関西陸上競技連盟、近畿高等学校体育連盟、毎日新聞社共催)
4月1日農業科3学級のうち1学級を園芸科に変更
5月1日福岡県教育委員会告示第32号により校名を福岡県立筑紫野高等学校と改称
昭和25年(1950)1月22日全国高等学校駅伝競走大会(通信競技) 優勝
4月13日定時制岩戸分校開校式挙行(昼間部農村家庭科1学級50名4年制)
昭和26年(1951)4月1日福岡県教育委員会告示第15号により専攻科を設置(農業科1学級40名2年制)
5月31日創立50周年記念祝賀会挙行
昭和28年(1953)12月27日第4回全国高等学校駅伝競走大会 優勝 (於大阪)
(日本陸上競技連盟、全国高等学校体育連盟、毎日新聞社主催 以下同じ)
昭和29年(1954)4月1日農業科2学級を1学級に、園芸科1学級を2学級に変更
12月16日県議会にて福岡市塩原に移転改築を議決
12月26日第5回全国高等学校駅伝競走大会 優勝 (2連覇) (於大阪)
昭和30年(1955)4月1日福岡県立福岡農業高等学校と改称
岩戸分校定員320名に増員(1学年2学級80名)
昭和32年(1957)4月20日福岡市大字塩原836において新校地地鎮祭及ぴ起工式を挙行

塩原校舎時代

(地名の変遷)福岡市大字塩原836番地 →福岡市南区塩原2丁目

年号(西暦)月日出来事
昭和33年(1958)4月10日福岡市塩原の新校舎に移転
昭和34年(1959)12月27日第10回全国高等学校駅伝競走大会 第8位 (於大阪)
昭和35年(1960)4月30日福岡市桧原に果樹園用地買収
12月25日第11回全国高等学校駅伝競走大会 第6位 (於大阪)
昭和36年(1961)3月31日定時制本校・分校とも募集停止
4月1日農芸化学科設置(1学級50名)
昭和37年(1962)4月男女共学化により、初めて女子が入学する。
昭和39年(1964)10月23日創立60周年・本館竣工記念式典挙行・福農の歌制定
3月31日定時制岩戸分校廃止(公立福岡女子商業高等学校として発足)
12月27日第15回全国高等学校駅伝競走大会 第3位 (於大阪)
昭和41年(1966)10月28日学校農業クラプ九州大会においてホームプロジェクト発表優勝(全国大会出場)
昭和43年(1968)10月29日学校農業クラブ九州大会においてホームプロジェクト発表及び意見発表優勝(全国大会出場)この年は3分野で全国大会出場を果たした
昭和44年(1969)1月23日福岡市長が県知事に塩原地区区画整理に伴い本校の移転を要望
昭和46年(1971)11月3日福岡県教育委員会から農業クラブ活動について特別表彰をうける
昭和47年(1972)3月2日県議会にて現校地売却・太宰府町大佐野に移転・本年度予算15億円を議決
昭和48年(1973)5月10日筑紫郡太宰府町大佐野にて新校地造成地鎮祭挙行
昭和49年(1974)4月5日筑紫郡太宰府町大佐野に新校舎第一期工事完了
9月21日学校農業クラブ全国大会においてプロジェクト発表、意見発表とも優秀賞を受ける
昭和50年(1975)3月31日本館、教室棟、農芸化学棟、専攻科棟、体育館工事完了
昭和51年(1976)3月31日農場建築物、研究棟B棟他工事完了

大佐野校舎時代

(地名の変遷)筑紫郡太宰府町大字大佐野250番地→太宰府市大字大佐野250番地

年号(西暦)月日出来事
昭和51年(1976)4月1日筑紫郡太宰府町大佐野の新校舎に移転
生活科2学級新設し、6学級編成となる
昭和53年(1978)4月1日桧原果樹園用地用途廃止(福岡市に売却)
11月18日創立100年祭・校舎移転落成・同窓会館(大橋)落成記念祭挙行
(この頃から学校の歴史を中洲時代から数えるようになる)
12月29日場建築物(研究A棟他)工事完了
昭和57年(1982)4月1日園芸科及び生活科各1学級減じ、
農業科、園芸科、農芸化学科、生活科の4学級編成となる
昭和59年(1984)3月29日花き温室1棟新設
昭和61年(1986)3月13日専攻科第2棟(実験室、図書室等)竣工
昭和63年(1988)3月31日野菜、果樹(ブドウ)実験温室及びボイラー室竣工
11月19日創立110周年記念式典挙行、
校訓「耕」(土を耕し、心を耕し、未来を耕す)制定
平成元年(1989)4月1日農業科を農業経済科、農芸化学科を食品科学科に学科転換し、
農業科及び農芸化学科は募集停止となる。
平成2年(1990)1月20日校訓碑除幕式挙行
平成3年(1991)2月28日農業経済科、コンピュータ演習室、流通実践演習室、流通実践実験室竣工
3月30日社会科教室改築竣工
11月16日専攻科40周年記念式典
平成4年(1992)4月1日生活科を生活文化科に学科転換(募集定員45名)し、生活科は募集停止となる。
専攻科に生物生産科、食品工学科を新設(募集定員各20名)し、農業科は募集停止となる。
平成5年(1993)3月31日専攻科第3棟(食品化学、微生物工学、実験室等)及び順化温室、
ボイラー室、機械室竣工
平成7年(1995)3月27日専攻科第4棟(畜産製造実験室、醸造用実験室、農産製造実験室)及び
ボイラー室竣工
平成8年(1996)7月22日農業経済科棟竣工(現食品加工棟)
平成10年(1998)11月7日創立120周年記念式典挙行 (校花「桜」、校木「ユーカリ」)制定
平成11年(1999)4月23日環境制御温室竣工
平成12年(2000)7月24〜27日第34回全日本高等学校馬術競技大会出場2回戦進出 (於福岡県馬術競技場)
(社)日本馬術連盟、(財)全国高体連、全日本高等学校馬術連盟主催 以下同じ
平成13年(2001)2月21日多目的温室竣工
7月19〜22日第35回全日本高等学校馬術競技大会出場
(於熊本県立菊池農業高校馬術競技場)
10月27日専攻科50周年記念式典
平成14年(2002)7月24〜26日第36回全日本高等学校馬術競技大会出場 (於福井県立馬術競技場)
10月30〜31日学校農業クラプ全国大会においてプロジェクトC部門最優秀賞
および文部科学大臣奨励賞を受賞
11月11日福農Website開設
平成15年(2003)4月1日生活文化科を生活デザイン科に学科転換(募集定員40名)し
生活文化科は募集停止となる
平成16年(2004)4月1日農業経済科、園芸科を都市園芸科、
環境活用科に学科転換(募集定員各40名)し、
農業経済科及び園芸科は募集停止となる。
平成17年(2005)3月28日新鶏舎竣工
平成18年(2006)3月28日専攻科温室竣工
平成20年(2008)11月18日創立130周年記念式典挙行
平成30年(2018)11月16日創立140周年記念式典挙行